ヤマト政権(やまとせいけん)・ヤマト王権(やまとおうけん)・大和朝廷(やまとちょうてい)とは、古墳時代に「大王」(おおきみ)などと呼称された倭国王を中心として、いくつかの有力氏族が連合して成立した王権である。基本的には律令国家成立以前の名称であり、飛鳥時代以降については通常大和朝廷と呼ばれる。主に奈良盆地を中心とした近畿地方を本拠地としていた。
かつては、律令体制の整備が進んだ飛鳥時代以前の政権についても「大和朝廷」という呼称が広く用いられたが、「大和」の表記や「朝廷」の成立時期を巡って学会の中では見解が分かれており、一定していない。現状では、少なくとも古墳時代に関しては「ヤマト王権」ないし「ヤマト政権」を採用する研究者が多いので、本稿ではヤマト王権として叙述する。
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1960年代以前は、4世紀頃から6世紀頃にかけての時代区分として「大和時代」が広く用いられ、その時期に日本列島の主要部を支配した政治勢力として大和朝廷の名称が用いられていた。しかし1970年代になると、重大な古墳の発見や発掘調査が相次ぎ、理化学的年代測定や年輪年代測定の方法が確立し、精度が向上したこともあいまって古墳の編年研究も進捗し、「大和時代」という時代を設定することは不適切だと考えられるようになり、かわって「古墳時代」の名称が一般的となった。研究は文献史学との提携が一般的となって、古墳時代の政治組織にもおよび、それに応じて古墳時代の政権についてヤマト王権や大和政権等の用語が使用され始めた。1980年代以降は、大和政権、ヤマト政権、それが王権であることを重視してヤマト王権、大和王権、あるいは東アジア世界とのかかわりを重視して倭国政権、倭王権等様々な表記がなされるようになっている。これは、「大和(ヤマト)」と「朝廷」という言葉の使用について学界でさまざまな見解が示されていることを反映している。