長江文明(ちょうこうぶんめい)とは中国長江流域で起こった古代文明の総称。黄河文明と共に中国文明の代表とされる。文明の時期として紀元前14000年ごろから紀元前1000年頃までが範囲に入る[1]。後の楚・呉・越などの祖になっていると考えられる。
また稲作などは長江文明から海を渡って日本・朝鮮に伝わったという説もある[2]。
日本の物語
私たちの憲法
ハムスター
大気のお話
住宅用語
野菜事典
知って得証券語
南北朝時代
栃木の湯めぐり
蘭の世界紀行
空手道
歯周炎
植物園
銀行
商社
フェンシング
アパレル
映画祭
肝炎
お化け屋敷
20世紀前半に黄河文明の仰韶文化が発見されて以来、黄河流域で多くの遺跡が見つかったことで中国の文明の発祥は黄河流域であり、その後次第に長江流域などの周辺地域に広がっていったとの見方が支配的であった。
しかし1973年・1978年の発掘調査で発見された浙江省余姚市の河姆渡遺跡(かぼといせき)により、この説は覆される。河姆渡遺跡は紀元前6000年 - 紀元前5000年頃のものと推定され、大量の稲モミなどの稲作の痕跡が発見された。稲作を行っていた事からその住居は高床式であった。
このように河姆渡遺跡は明らかに黄河文明とは系統の異なるものであり、それまでの中国文明=黄河文明と言う図式のみならず、古代文明=世界四大文明と言う図式をも壊し、当時の定説を大きく覆す事になった[3]。
更に東北の遼河周辺でも文明の痕跡が発見されるに至り、現在では遼河周辺、黄河上・中・下流域、長江上・中・下流域に分類し、それぞれが互いに影響しあい、かつ独自の発展を遂げていったと考えられている